社会人になっても音楽を続けていてよかったと思う瞬間5選|“やめなかった自分”を誇れる日がくる!

社会人音楽家の日常

音大を卒業して、社会に出て、ふとこう思ったことはありませんか?
「自分、なんでまだ音楽やってるんだろう?」
「もうやめて、普通の生活に戻ったほうが楽なんじゃないか?」

……僕は、あります。正直、何度もあります(笑)。

冷静に考えれば、やることを減らせば体力的にも楽になるし、
もしかすると経済的にも少し余裕が出るかもしれない。
実際、そうやって音楽を手放していった友人もたくさんいます。

それでも僕は、芸大を卒業してから約10年、今も音楽をやめていません。
そして、この記事を読んでいるあなたにも、できれば“やめない選択”をしてほしいと思っています。

この記事では、「やめなくてよかった」と心から感じた瞬間を、実体験をもとにご紹介していきます。

本記事を読んでわかること

  • 社会人になっても音楽を続ける価値とは?
  • 音楽が日常や心をどう支えてくれるか
  • 音楽を通じて得られる人間関係や自己肯定感
  • “続けること”の意味と、自分らしさを保つ方法
  • プロでなくても、音楽と関わり続ける人生の豊かさ

社会人生活で落ち込んだとき、音楽が心の支えになった話

どんな仕事をしていても、落ち込む日はあります。
仕事がうまくいかない、失敗して自信をなくす──そんな時に、音楽は“心の逃げ場”としてそっと寄り添ってくれる存在です。

正直、社会人としてすべてを真面目に受け止めて生きていくには、日々のプレッシャーはあまりにも重い。
だからこそ、人は何かしらの逃げ場所を求めます。
お酒に頼ったり、異性に依存したり、ギャンブルや買い物に走ったり……心を守るための“依存先”を無意識に探しているんだと思います。

そんな中で、ふと「自分には音楽がある」「音楽家だから、ここに戻ってこれる」と思えることが、
どれほど救いになるか──これは音楽を続けている人にしか分からない感覚かもしれません。

「逃げるなんて情けない」「ダブルスタンダードじゃないか」と感じる人もいるかもしれません。
でも僕は、心の逃げ場を持つことこそ、むしろ一番大切な“生存戦略だと思っています。
それに、どんなに成功している人でも、何かしらに“頼って”生きているものです。

そう考えると、音楽という逃げ場があるのは、とても健康的で、豊かなことなんじゃないでしょうか。

音楽を通じて、仲間と“同じ世界”にいられる

昔は仲がよかったのに、今では何を話していいかわからない──そんな友達、いませんか?

学生時代は同じクラスや部活に属していて、自然と共通の話題も多く、盛り上がれた。でも、社会に出て別々のコミュニティに属し、ライフステージも変わっていくと、会うたびに話題が昔話ばかりになってしまうこともあります。

正直、僕は「昔話だけの関係」があまり得意ではありません。
そうなると自然と距離ができて、疎遠になってしまうこともあります。

でも、不思議と音楽のコミュニティだけは、途切れないんです。

「今どんな曲やってる?」「最近の本番どうだった?」
そんな会話が自然と生まれ、音大時代に面識のなかった人と、今になって共通の知り合いがいることがわかったりと、話題が尽きることがありません。

音楽を続けている仲間とは、話がいつも“今”のこと。
だからこそ、馴れ合いすぎず、適度な距離感のまま長く関係が続いていくんだと思います。

音楽を通じた人とのつながりは、まさに人生の財産。
共通の情熱があるからこそ、時間が経っても“同じ世界”で語り合える関係は、本当にかけがえのないものです。

“音楽やってます”と言えることが、ちょっと誇らしい

仕事関係の人に「実は音楽もやっていて…」と伝えると、毎回のように驚かれます。
「えっ、そんな一面があるんですね!」と新鮮な反応が返ってくることが多いです。

もちろん、それで特別な満足感を得られるわけではありません。
でも、「ちょっとした話題があってよかったな」と思える瞬間です。

特に、経営者の方や管理職の方と話すときは、反応がよりポジティブな傾向があります。
そういった方たちは好奇心が旺盛で、音楽についても深く聞いてくれたり、自分の趣味を大事にしていたりする方が多い印象です。

なぜか「すごいですね」「かっこいいですね」と尊敬されることもあって、音楽を続けている自分に、少しだけ自信が持てる瞬間でもあります。

社会人になっても音楽を続けているというだけで、
それが時に“個性”や“武器”として、自分を印象づけてくれる──
それはちょっと誇らしいことだと思うのです。

音楽が“自分らしさ”を保ってくれる居場所になる

自分が経営者でない限り、社会で働くということは基本的に“誰かのビジョンを実現するために力を貸す”ことになります。
立場や職種によって裁量の大きさは異なりますが、最終的な意思決定は事業主や株主が下すもの。たとえ自分の意見が正しかったとしても、上の判断が「NO」であれば、それは「NO」になる──そういう世界です。

もちろん、雇う側が業務を細かく切り分けて人を配置しているのだから、ある意味ではそれが“当然”でもあります。

でも、裁量がほとんどなく、他人のビジョンの実現のためだけに働く日々が続くと、「自分の人生って、誰のためのものだろう?」と感じてしまうことがあります。
気づけば、自分の価値を見失いそうになる。そんな経験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。

そんなとき、“表現する”という行為は、自分らしさを取り戻すための大切なツールになります。

もちろん音楽の世界でも、指揮者や演出家、スポンサーがいれば、自分の思い通りにいかない場面は少なからずあります。
でも今の時代は、ソロで演奏して配信することだって容易ですし、たとえ大勢で演奏していたとしても、本番の音は“あなた自身の表現”です。

稽古でどれだけ指示が飛んできても、舞台で鳴らすその一音は、あなたの心を通して生まれたもの。
そうして生まれた音が誰かに届いたとき、あなたは”自分の存在”を実感できるはずです。

音楽を続けることは、自分の人生の中に「自分で選べる場所」を残すこと。
それは、社会人として生きる上で、とても大切な「心の居場所」になるのではないでしょうか。

まとめ|音楽は、人生の中に“自分の居場所”をつくってくれる

社会人になると、音楽を続けるのは簡単なことではありません。
時間もお金も限られている中で、「もうやめた方が楽かも」と思う瞬間があるのも当然です。

でも、そんな日々の中でふと、「やめなくてよかったな」と思える瞬間があります。
それは──
疲れた心をそっと支えてくれたとき
仲間とつながっていられたとき
誰かに驚かれたり、尊敬されたとき
そして、自分が自分らしくいられたとき

音楽があることで、“自分の人生をちゃんと生きている”と感じられる。
それこそが、音楽を続ける何よりの価値なのかもしれません。

上手じゃなくても、プロじゃなくても、続けている限り音楽はあなたを裏切りません。
迷いながらでも、細くても、どうかあなたのペースで、音楽と共に生きていってください。

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